山奥の限界集落でコツコツといろんな仕事をやっています(大塔)
- インタビュー記事
- 大塔エリア
2019.03.02
- 河原田さんが大塔地域に移住されるまでについてお聞きできますか?
- 大阪で造園業をしていて、林業関係など木に関わるような仕事をしていました。紀伊半島も大水害に遭われた地域で、僕らも復旧などであちこちの山を廻っていたりもしていたし、身近に木があるというのか、そういう仕事をしてきました。
- 大阪から大塔地域に移住されましたが、何故こちらの地域だったのですか。
- 僕たち家族は、最初からここに!!と決めていたわけではないんです。ただ、大阪から別の場所に行きたいという漠然とした気持ちがあって、そんな時に移住フェアにたまたま大阪で妻が参加して、和歌山のブースにいた県の定住センターの方が面白い方だったので、「今度会ってきたら?」みたいになって。
そこから自分たちの希望と合う地域や田辺市の補助制度などの優遇措置なども伺ったり、親身になって何でも相談に乗っていただいて、最終的に今の田辺市大塔地域に縁があって・・・という感じです。 - 奥様も山での暮らしを希望されていたのでしょうか。
- 何か田舎の方で暮らしたいという憧れがあったのだと思うのですが。小さい頃から。
- 奥様はどちらのご出身ですか。
- 大阪の堺市出身で、僕は和泉市で近所なんです。2人とも小さい頃から田舎に帰るとかそういうのがなかったので、子供にはそういうものを与えてあげたいというか。小さい時に自然の中で、家族で暮らせたらなと考えて希望したというのもあります。
- 仕事も有り、尚且つ、子育ても自然の中でというと、若いうちに移住したいというの想いが有ったのでしょうか。
- 若いうちに、移住したいと・・・自分が動けるときに動いてというのがありました。
- 今、お住まいになっている この地域というのはどれくらいの世帯数で、どういった年代の方がいらっしゃいますか。
- 大塔地域の竹ノ平という集落なんですが、自分の世帯を合わせて6世帯で、今11名です。僕の家族以外は80歳代、90歳代というところです。僕の一つ上の方が81歳なんで。40歳の僕とは41歳ちがいですね(笑)
- 人生の倍 生きてこられた方々が住んでおられる地域に移り住まれたということですね。
- 皆さん、本当に自分の親や、おじいさんおばあちゃんのように思って接してくれたら良いよというような話で最初から歓迎してくました。最初僕が引っ越してきた当初は、家がまだ改修中だったので、お風呂が沸かせなかったり、トイレがなかったりとか。不便だったので、地区のおじいさんのお家に転がり込んで一緒に生活させてもらっていたりしたので(笑)
まぁそれで距離がグッと縮まったのかなとも思います。 - 若い方が来られたということで、地域の方にも頼りにされている部分もあるかと思いますが、いかがでしょうか。
- 前の区長さんが85歳でその前が今92歳なので、集落のお手伝いや、お祭りなんかに関わっていたら、「区長をやってくれないか」という話になって。
- それから若い人が入ってきたというので、この集落だけでなくて地域で消防団に入ってほしいとか、役という役にほとんど付いたかなぁ(笑)そういうこともあって、人と会う機会が多くなったりとか。会合に入れていただいたりとかして、地域の方々とどんどん顔見知りになっていった感じですね。
- お聞きしていると昔から形成されているコミュニティに新たに入っていくというのは、河原田さんご自身も 閉ざすのではなく
積極的に交わっていくという気持ちがあるからこそのように思います。 - そうですね。元々僕も大阪の泉州地域だったので、青年団などで、町の祭りや行事をやっていく為のシステムというのがあって。そういうのがこちらにもあるのが分かっていたので・・・
それに何よりも協力しないと人数も居ないので僕もやっていかなければならないな、と自分では最初から思っていましたね。 - この地域で暮らしてみて、困ったなということはありますか。
- これまでは困ったことというのはあまりなくて・・・これから出てくるのかもしれませんが。獣が多いので、野菜を育てても鹿とか猪とか猿とか、小動物が多いので食べられたり、本当に根気がいるのかなと。本当においしい時・収穫の時期に食べられたりするので、やはり人間と違ってダメと言っても何度も何度も来るのでね(笑)
- 将来的にどういうことを、ここでやっていきたいというのはありますか。
- 今皆さんがやっているような仕事を引き継いで、いろんな仕事をやりながら過ごしていけたらと思っています。そんなにお金をバンバン稼いでというタイプの人間ではないので。地域の仕事や、自分の手に職というか。
植木やら山の仕事でなんとかして暮らしていけたら良いと思っていて。足らずはどこかに働きに行っても良いと思っていて。計画しなければならないのかもしれませんが、「どうにかなるやろう」というような感じでいますかね。 - 移住をやってみたいと思っている若い方も沢山いらっしゃると思いますが、河原田さんからそういった方々に、こういうところが大事だよ。キーポイントだよ、というようなところはありますか。
- やはり動かないと何も変わらないので。かなりの決断がないと都会から田舎には来れないと思うのですが、失敗もありますので、人生。良いのも悪いのもあるので。
- でも、移住したいと願うのなら、とりあえず動いてみるというのが一番の事なのかなと思います。ここだったら本当にお試し的なところもあったり、田辺市でも色々な地域があるので、現地に一度来てもらって。担当の方も居ますから。いろいろ暮らしている人の生活を見てみて、自分でも出来るかなど、そういう気持ちにちょっとでもなってもらったら。重い腰も軽く上がるのかなとは思うのですが。
- なかなかあれこれと想像だけしていても…
- ちょっと時間を作ってでもそういう場所を訪れるという行動を起こすというか。和歌山県であれば、県のふるさと定住センターというところがあって、その人に合った気になる地域を一緒に見て周ることもできますしね。
僕も色々と紹介していただいて決めた部分が凄く大きかったので。自分一人だったら多分なかなか厳しいのですが、周りには移住者も結構居るので、自分の心の支えになるのではないかなと思いますね。 - やはり飛び込みで見知らぬ土地に行くというリスクよりも、こういった行政のサポートは利用する価値はありますか。
- 活用した方が良いと思います。色々な面で何か助けてくれることがあったりとかしますね。
- 僕らだけじゃ無駄にお金も浪費してしまったりとか、そういったことがあるかもしれないですが、こういうのを活用したら上手く移住できますよ。とか、そういう所がやはり行政の方のお仕事なので。活用すれば移住の計画も進むと思います。
- 移住して、その次は定住ということになってくると思いますが、やはり先ほどからお伺いしているように、定住する為にも地元の様々なコミュニティを大切にしていくという姿勢が大事だと思います。
- 移住して一人でやっておられる方も居るとは思いますが、やはり人と関わって、どちらも、先住者の方も、誰かの助けが欲しいとか、仕事を手伝ってほしいとか。そういった方も沢山居ると思います。何か仕事がないかな、ではなく、意外と仕事があったりするもんなんですよね。そうした小さなことでも組み合わせてやっていけば田舎では生活の基盤になるのではないかと思います。コツコツと頑張っていれば、いろいろ口コミで『ちょっと手伝ってほしい』とか声を掛けてくれると思います。僕もそういうふうにいつまでも地域の方々から声がかかる存在でありたいなと思ってます。
- ありがとうございました。
- こちらこそありがとうございました。